二つの粘土の比較
石粉ねんど
- 固まってしまう
- 『完成』がある(しなくてもよいが)
- 適度な硬さがあって、ほぼイメージ通りに綺麗に成形できる
- 『構想→成形→完成』という工程
「綺麗に成形できて『完成(ゴール)』がある」ことで、固まる前に仕上げなければという義務感のようなもの、「(求められた)結果を出す」という染みついた習性でいいものを作ろうという意気込みのようなものがあった。”いいものを作ろう”は仕上がりイメージが持てれば没頭できる(構想できないとその先がうまくいかない)。
あぶら粘土
- 固まらない
- 『完成』がない(一時的に完成はするが)
- 柔らかすぎて思い通りにならない
- 『(構想→)成形(→一時的な完成)』という工程
思い通りに成形できず、完成もない、ただこねまわすだけでもよい、という気楽さからリラックスして自由にこねまわしていると、カタチのひらめきがあり成形して楽しめた。
二つの粘土あそびをやってみてわかったこと
あぶら粘土のほうが自由にリラックスしてそれ自体を楽しめる。
何かに仕上げないといけないという義務感もなく、せっかくならいいもの作りたいという意気込みもない。ただこねまわし、そのうち何かができる、またこねて何かを作る、というあぶら粘土のような気楽さがあれば石粉ねんどももっと楽しめるのかもしれない。
あらためて石粉ねんどをやってみる
二つの粘土あそびの比較を踏まえて、あらためて石粉ねんどであそんでみた。
やってみたこと
何ができてもいいじゃないか、という気持ちでこねる。
何を作るかわからないままこね続ける。
固まるから何かを仕上げないといけないという気持ちになる(やっぱり)。
少量で(失敗したくない気持ちからか)いくつかのカタチをつくるも、あまり満足感がない。
思い切って一袋分のねんど(おおきなおにぎりくらい)をこねてみる。
質感や量感からつまんだりひっぱったりしているとカタチのイメージがわき(あぶら粘土のように)、イメージにむかって没頭しながら成形してカタチができ、仕上がりの満足感がある。
テーマ設定をしてみる。
- フレディ・マーキュリーの顔
- アリクイ
- ゾウ
どれもイメージを確認しながら没頭して成形して楽しめ(ラクガキのテーマ設定のように)、仕上がりの満足感がある。
楽しめたこと
- 手のひらでこねる感じ
- 手のひらでこねているといろいろやってみたくなる
- いつのまにかカタチになっていく感じ
- イメージに向かってつくり込んでいくこと
- イメージ通りに仕上がっていくこと
やってみてわかったこと
- 作るもののイメージがないと焦る
- いいものを作ろうとしてしまう
- 指や手のひら(手全体)でこねる感じが重要そう
- テーマ設定すると取り組みやすい
- 仕上がりイメージがあると成形に没頭できる
いずれ固まってしまうのでイメージがないままこねていると「はやくなんとかしないと」と焦ってしまった。また「せっかくつくるならちゃんとしたのをつくろう」と力がはいってしまった。
少量をこるより手全体でこねられる量のほうがこねることを楽しめて、つまんだり、つぶしたりいろいろやっているうちにカタチのひらめきがあり、そこにむかって成形に没頭し、出来上がっていた(あぶら粘土のような感覚)。
テーマ設定すると、仕上がりイメージを持つことができて(焦る必要もなくなり)、仕上がりイメージにむかって成形に没頭できる。
あぶら粘土のような気楽さにはなれなかったものの、適切な粘土の量にするとあぶら粘土と同様にこねることを楽しんでいるうちにカタチができあがる感覚であそぶことができた。また、テーマ設定することで、没頭して楽しむことができた。
石粉ねんどは(固まる)何かを作るというあそびであり、
- 作りたいものがある
- テーマ設定して取り組む
ことでよりよくあそぶことができる。